これから

初めてのことが たくさん。
知っていたはずのことも 更新されて あたらしくなっている。
読んだことのある本もマンガも、何度も聴いた音楽も、ありふれた食べ物の味も、街の景色も、街を歩く見知らぬ人の表情も どこかあたらしい。
これから どうなるんだろう。

「あなた」と出会ったことで新たな世界が立ち上げれられアップデートされた。そこでまた新しい感覚や世界の構成物をひとつひとつ思い出していかなくてはならない。それは実はとてもきらきらとした貴重な時間なのではないか。「あなた」と出会ったことで世界を形作るあらゆるものを輝かしいものとして出会い直していこうとする。それは素晴らしい生のきらめきの肯定なのである。

http://d.hatena.ne.jp/yamawata/20091220/1261314155

"every single day of my life"

昨日は 父の運転する車に乗って祖父母の見舞いに行った。
車内では The Beatles が流れていた。父の車に乗るたびに、何度も何度も聞いている。
三省堂書店神保町本店で20年前に安売りされていた例のCDが、今は父の車のカーナビのHDに取り込まれているのです。*1
歌詞の一部が聞き取れた。
"every single day of my life"
この曲、ずっと前から好きだった。でもタイトルがわからない。
帰ったら調べてみようと思った。


"Got To Get You Into My Life"

誰もいない部屋の灯り ―― Ambient #1 Music for Airports 1/1 (Brian Eno)

誰もいない部屋に 灯りをつけておくことって、どうだろう。

ぼくにとって Ambient #1 Music for Airports 1/1 (Brian Eno) は、誰もいない部屋であっても流しておく意味があると思える音楽で

朝、ぼくが家を出て誰もいなくなった部屋にも、この曲が流れていたらと思う。

主のいなくなった部屋が、光の粒が浮遊しているような こんなすてきな穏やかな空気をたたえて

そのなかで、生活のための細々とした品物たちが、主の帰りを待っていてくれたらいいと思う。*1


そしてこれは、誰もいなくなって すべてが記憶になった時に流れている音楽だという気がする。


これは、ぼくがうまく眠れないときに聴く音楽のひとつ。(もうひとつは Art of Noise の "Robinson Crusoe")



*1:ぼくの部屋は、そういう状況からはほど遠いのですが。

概念を探す旅 ―― 「魔法少女まどか☆マギカ」最終話

キュウべえの言葉であったか、「概念」と聞いた時、この文章を思い出した。*1

「自由」や「愛」と肩を並べるだけの重要性をもった概念が、やがて存在する。ぼくは、その概念を探し求める旅を、ひとつの小説として書いている。〔…〕あなたとともに。
2007-02-12 - 七里の鼻の小皺

*1:現在、原典(http://d.hatena.ne.jp/nanari/20070212)にあたることができず、引用はメモからのものなので不正確かもしれない。特に、一部省略により元の意味を損なっているかもしれないと危惧するのだけど、引用もまたあらたな表現であると開き直ることにする。

選ぶこと、選ばれること

「踏み絵」を踏むか踏まざるかの選択を迫られる状況に 準備不足の意図しないタイミングで陥るのは嫌なものだし、まして他人にそれを強いるのは酷なことだ。

でもだからといって、何か配慮をして 踏み絵のテストを避けてあげることが よいことだとも思わない。

やはり、どちらかを選択しなくてはいけない場面はあるし。

だいたい どちらの選択が ほんとうに よいかなんて わからないのだから、その時に自分がよいと思う方を積極的に意志して選べばいい。

とは言え、そういう時の選択によって人間は選別されてしまうのだから、やはり酷なことではある。

だけど、みんな30歳すぎたオトナなんだし、なんとなくの不作為を選んで その結果から逃げるのではなくて、(どちらでもいいから)積極的に選択をして、不利益も含めてその結果を引き受けてくれよ、と思う。


先週、 会社ですこしやっかいなことが起こって、自分も周りの人も、それぞれに態度を選択しなければならなかった。(頬被りする人がほとんどだったけど

事の帰趨は まだわからない。ぼく(ら)は それなりの選択をしたつもりだけど、何も かわらないのかもしれない。結果、損をして「バカだなあ」と笑われるだけなのかもしれない。いずれにせよ、もうすぐケリがつく。

もちろん良い結果になればそれに越したことはないけれど、結果など、どちらでも構わないとも思う。

どのような結果になろうと そんなこととは関係なく、その時その人がどんな選択をしたのかは、どこかに残る。みんなが忘れてしまったように見えても、誰かが(あるいはその人自身が)覚えている。そして、それぞれの選択に基づいて 人はふるいにかけられる。

ぼくのふるいにかけられて残った人たちを選んで、ぼくは一緒にやっていきたい。(だからぼくは自分がただしいと思う選択をしたい。ぼくはずっと自分と一緒にやっていくのだから。

結果よりも、そのことの方がぼくにとっては大切なのかもしれない。


―― そんなことを思った。

まっとうな生活 ―― 『花のズボラ飯』(久住昌之、水沢悦子)

主人公・花の作る「ズボラ飯」(手抜き料理) は、 確かに立派な「お料理」ではないけれども、ぼくの基準でいくと かなりレベルの高い自炊だ。

たとえば第6話、花は空腹でおなかが鳴ってからキムチチャーハンを作りはじめる。残りご飯か冷凍ご飯のストックがあったとしても、できあがるまでに 3、40分は かかっているのではないだろうか。(材料は、ご飯とキムチの他は、たまごとネギと刻み海苔と調味料)

ぼくだったら、ご飯が炊けるのを待つ気にならないし、残りご飯があったとしても、キムチだけで食べてしまう。(ごはん炊いてキムチをのせるのは、ぼくの「自炊」の定番メニューだ。)

空腹であるにも関わらず手間と時間をかけてキムチチャーハンを作るといった情熱/執着はどこからくるのだろう。

あるいは、第5話、花はレトルトのクリームシチューに、刻んだパセリを加える。こういった一手間をかけることに、どんな意味があるのだろう。

おいしい物が食べたいというだけではなかろう。健康を考えて?メニューを見るとそうも思えない。

不思議だし、感心もしてしまう。


第13話、夕食のメニューはご飯と塩鮭と「ふえるわかめ」のみそ汁。

みそ汁をよそいながら、

なんかアタシ今 すっごい充実してるんですけど


いただきますをして、焼き鮭でご飯を一口食べて、みそ汁をすすって、

はーっ アタシ今 すっごくマットウ! 真っ当な人間だわ


継続できる程度に適度に手抜きをしながら、花のように、食べること――に限らず、生活全般に対する関心を、ぼくは もうちょっと しっかり持ちたいと思う。(何度目だかわからないけど、そう決意する時期が またやって来ている…


ところでこのマンガ、台詞のほとんどは花の独り言で、女性の一人暮らしをのぞき見ているような感じがあって、そこもおもしろい。(連載は女性向けの雑誌『Eleganceイブ』)

花のズボラ飯

花のズボラ飯

きょうのマンガ

上野顕太郎さよならもいわずに

昨年の話題作だったので、年末に買って読んでみたけど、心に引っかかるものがなくて、ざーっと斜め読みして、特に何の感想もなく終わっていた。
感想があるとすれば、みんなが(「泣ける」と)面白がってるのに、ぼくが面白がれないのは、何かぼくに欠けてるところがあるのかなあということくらいだった。
今日、部屋の片付けをしているときに ふと目に留まって、お金をムダにしたのが悔しかったので、もう一度と思って読み始めた。
今度は、つらくて読めない。
ざっと目を通して、終わりにした。

押見修造惡の華』第20話(別冊少年マガジン5月号)

4月号読んでないのに5月号を買って読んでしまった…。(読み終えてから気付いた)
内容には触れない。
これまたすごい終わり方をするのだなあと思った。
3巻までは単行本で読んだし、基本的にはマンガの連載を追いかけることはしないのだけど、毎回こんな終わり方をするのなら、連載で読む楽しみもあるなあと思った。
IMGP4510