しごとごとごと
『孤高の人』のこの足立先生のことばを連載時に読んだときは、ちょうどリストラの真っ最中で、今の会社をやめるかどうか考えていたこともあり、目が潤んでしまってコンビニで立ち読みをつづけるのが難しかった。ただ、ぼくには「君にしかできない仕事」なんてないように思ったので、そういう「仕事」を見つけた主人公から、『孤高の人』から、ぼくの気持ちが一時的に離れる原因のひとつとなったのだった。(第9巻までと第10巻以降の表紙の色調を比較するとわかるとおり、この第10巻では主人公を画期する出会いが、もうひとつ生じる。)
会社(仕事)を休んで、祖母(と気落ちしている祖父)の見舞いにいった。お見舞いにいくのも ぼくがするべき しごと かな。生計を立てる手段といった狭義の仕事ではない。なにか社会的な意義があるわけでもない。では、お見舞いにいくのが心から楽しみかというともちろんそんなことはなく、暑いさなかに電車とバスを乗り継いで見舞いにいくよりも会社でのんきにしていたほうがよほどラクなので、半分くらいは義務感/使命感からだ。病室で行き会った親族とは「ごくろうさまです」と挨拶をする。お見舞いに行くのはしごとで、ぼくはぼくにしかできないしごとをしたのだとおもう。
ひとりの人間のとりかえがきく/きかないというのは、どういうことなんだろうか。
想起する
ろくに見ていないアニメの台詞
綾波さん「わたしがしんでも、かわりはいるもの」
そしてこの文章を
どんな人間も例外なく、いつ死んでもいいのです。この世の中に死んでしまったら困る人間なんか誰一人としていないのだから、誰でもいつ死んでもいいのです。死にたければ、即、死んでもいいのです、今日にでも明日にでも死んでいいのです。
だからって、僕は死を勧めないね。〔…〕なんでもプラス面で考えてほしいよね。
「いつ死んでもいい」ということは、「いつまで生きていてもいい」ということだからね。〔…〕「いつ死んでもいい」ということは「いつまでも生きていていいのです」 この気持ちを大切にしてほしいです。
松崎勝彦 - YouTube
これを読んだとき、ほんとうにたまげた。「死んでもいい」のくりかえし、そしてひっくりかえしての「生きていてもいい」のくりかえしのリズム。ただしいようなまちがっているような、読んでいてわからなくなってくるところもいい。すきな文章だ。こんなふうに考え、書きたいものだと、こころからおもう。
「かわりがいるなら、しななくていいとおもうよ」
みなさま よい週末を