「ちからよわく」――渡辺玄英「けるけるとケータイが鳴く」
渡辺玄英の第四詩集「けるけるとケータイが鳴く」を読みました。そのことについて書くために、まず第三詩集「火曜日になったら戦争に行く」とPerfumeから起こしてみます。
ぼくにとって渡辺玄英の詩とは「ぼくはここにいない」*1という不安を詠った詩ですが、ぼくはPerfumeの一部からも同じ不安を読み取ります。Perfumeの「エレクトロ・ワールド」と「コンピューターシティ」から引用します。
見えるもののすべてが 触れるものもすべてが
リアリティがないけど ぼくはたしかにいるよ*2
完璧な計算でつくられた楽園で
ひとつだけ うそじゃない 愛してる*3
ぼくは確かにここにいる。ぼくのきもちは、すべてが偽りだとしても最後に残るほんとうのこと。
しかし、この「ぼく」への執着は不安の裏返しです。
確からしいのはぼくの気持ちだけ。だけど、やがてそれも不安に蝕まれて疑わしくなっていきます。
また、Perfumeにはときどき「壊したい」という歌詞が登場します。
完璧な計算で造られたこの街を
逃げ出したい 壊したい*4
壊したいの 知ってるの 最後には キミだけ
選んで 判断は 感情の 方向は*5
ぼくはこの「壊したい」にドキッとします。自分が心の底に秘めていたのと同じ不安と願望を予期せぬタイミングで告白されると同時に、指摘されてしまったような。
ぼくにとって渡辺玄英の詩とは、第一にこういった不安とか絶望、諦観をうたった詩です。第四詩集「けるけるとケータイが鳴く」もこの不安を帯びてはいます。
あの星の下に
ボクの心が埋めてある
わかってる(そんなもの初めからないって*6
しかし、第四詩集「けるけるとケータイが鳴く」のなかで印象に残ったのは、静かな明るさを感じた「花火の海(海の花火」でした。この詩は不安の中で立ち尽くしていない感じがしました。
ボクは
かすかな気配をたどってこの街を歩き
海はよわいもののなかまになって
うその記憶のふりをしている*7
そして、「壊したい」とは別の不安と対になるべきものを示しているようにぼくには思われました。
ボクはいろんなことにちからよわく(ありたいのれす
よわくなければたどりつけない(よーな気が(するのれす*8
ぼくはちからよわくありたい。ちからよわくてもありたい。在りたい。いやむしろよわくなければ…
ぼくが感じた明るさというのは、このへんからくるんでしょうか。まだ、説明できません。
- 作者: 渡辺玄英
- 出版社/メーカー: 思潮社
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