「現実がひとつの物語だったとして」
シロツグが「現実がひとつの物語だったとして、自分は正義の味方じゃなくて、悪玉なんじゃないか、って考えたことはないか?」ってことを言う。
ぼくが登場する物語なんてものはないにしても、ぼくが所属する組織や国あるいは世代が登場する物語はきっとあるはずだし、今はないとしても、いつか誰かが物語るのだろう。そこで ぼく(ら)はどんな役回りになっているのかな。
ぼくは小学生の頃から「悪いことをして生きていくのはいやだなあ」と、なんとなく考えていた。「良いことをしたい」というよりは、「悪いことに関わらなきゃいけないような羽目には陥りたくないなあ」という消極的な気持ちのほうが、ずっと強かったと思う。
それで結局、今ぼくはどちらにいるのだろう。
悪いことに関わらなきゃいけない羽目になった時、今のぼくに(せめて)そこから逃げ出す勇気があるだろうか。
会社がつぶれない限り、ぼくはずっとこの会社で仕事して、ずっとこの生活を続けていくのだろう。
「何か」があった時に、ここを出て行くという判断を ぼくはできるだろうか。会社がつぶれるとか、体を壊すとか、外からの力で もうどうにもならないところまで行き着かない限り、ぼくは ずっと ここにいるんじゃないか。
会社の誰もいない会議室の窓から外を眺めながら、今日は そんなことを思った。
われの知らぬ空いくつ経てしづまれる戸棚の中の模型飛行機
西田政史