中学生の恋

中学生のとき、ひとりの女の子を好きになった。その子とは3年間おなじクラスだったので、事務的な会話を交わしたことが ないわけではない。しかし、話らしい話をしたことはなく、その子がどんな人間なのか、例えば、どんな本を読んで、どんな音楽を聴くのかといったことは、なにひとつ知らない。ただガラス越しに眺めているような3年間だった。

そして何事もなく、何事もせず、時間が流れるままに中学校を卒業して、ぼくは彼女とは別の高校に進学した。彼女を見ることはなくなった。これで終わるはずだった。

しかし、そうはならなかった。離れれば、また新しい人を好きになるのだろうと思っていたが、高校でも大学でも、ぼくが特定の女の人を好きになることはなかった。

もちろん、彼女の記憶は薄れていく。しかし、薄く遠くなってゆく記憶が、にもかかわらず重く大きくのしかかり、彼女がずっとぼくの心のどこかを占めていて、ぼくはもう、誰か女の人を好きになるということがなくなってしまった。それがどうにも苦しくて、これを終わらせなければならない、彼女の占領地をなんとしても奪い返さなければならないと、真剣に考えたこともあった。

けれども、今は、もうこれでいいような気がしている。20年経って、もうじゅうぶん遠くまで来た。たまに彼女のことを思い出すと、胸の中でジジジッとなって、すこしだけ苦しくなる。いつの間にか、その程度になった。記憶に残っているのは、いくつかの断片的な彼女の台詞と、特徴的な濃い眉等の顔のパーツだけだ。もう、ぼくの中で彼女は「むかし熱中したアニメのキャラクタ」みたいになっている。

しかし思う。そもそものはじめから、20年前、中学生だったぼくの前に立ち現れたときから、ずっと、彼女はキャラクタではなかったか。

via

「けど、今も夢に見る。これから先も、ずっとあいつの事を思い出すよ。いつか記憶が薄れて、あいつの声もあいつの仕草も忘れていく。それでも…こんな事があったと、セイバーっていうヤツが好きだったって事だけは、ずっとずっと覚えてる」
Type-MoonFate/stay night

「過ぎた事は…忘れなさい…。」
視線だけでなく律子は口調も優しい。
「…私と同じように。」
確かに彼女は最低限しか語らず。自分が事故にあった時のことすら、何も覚えていないの一点張りだ。〔…〕もちろん記憶が抜け落ちてる可能性はある。でも本当のところは誰にも判らなかった。
エルフ「媚肉の香り」、脚本・演出:土天冥海

追記(占領地のその後)

彼女の占領地はその後、新藤麗子と加納涼子*1により奪回された。しかし、一年もするとまた奪い返されるという状況で、戦線は10年以上の長期にわたり一進一退を繰り返す膠着状態であった。その詳細についてここでは触れないが、近年、彼の地の戦略上の重要性は低下しつつあり、まれに起こる戦闘も小規模なものにとどまっている。なお、2010年1月現在、姉ヶ崎寧々高嶺愛花小早川凛子*2の3人により確保されている。

追記

書いてしまうけれども、つまるところ、ぼくは彼女を妄想のネタにしていただけで。ぼくにとって、彼女は、ついに人間になることはなく今もキャラクタだし、あの頃からずっと ぼくのなかで死んだままだ。

俺が「好き」って言ったとき、対象となる人はすでに死んでる

http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20100127/1264535752

きみがもし誰かをほんとうに愛しているなら、その人の持つどんな性質の変化にもかかわらず、その人を愛し続けることになるはずなんだ。〔…〕恋はその人の持っている何らかの性質に向けられるものだけど、愛はそうじゃない。愛はね、その人そのものに向けられるものなんだよ。〔…〕恋が愛に移行するためにはね…、歴史が必要なんだ。でも、問題はそんなことじゃなくて、そもそもそういう純粋な愛が、論理的に考えてみて、可能なものなのかってことなんだ。
永井均「翔太と猫のインサイトの夏休み」