世界観ください。(3つのモード)

私は知りたいのです。私のすがった秩序をこえた真実を。そして学びたいのです。秩序の光明無き闇の中でも生き抜く術を。
三浦建太郎ベルセルク』23巻

とてもすきな台詞です。ファルネーゼのものですが、なんだか自分の台詞みたいだ。ぼくがこの台詞を吐いたのだとしたら、「私のすがった秩序」と、それをこえた「真実」と、「生き抜く術」とはなんだろうかと思った。

「世界には法則がある」*1という確信(「秩序」)がある状態。それが揺らいだとき、いわゆる自己啓発ライフハック(「生き抜く術」)にはまる。しかし、それはしばしば自己の生を貶める「ライフファック」であって、やがて疲れ果て消尽してしまう。そこに至ってあたらしい世界観(「真実」)が求められる。

ぼくはずっとこの3つのモードをうつろっている。ぼくの作文やメモは、たぶん3つに分類できる。過去にもおなじことをしていたという感じがいつもある。はずかしい話だけど、10年くらい、おなじ場所をまわっている。まわっているのではなく、螺旋階段をのぼっているのだと思いたい。

長いあいだ働いてきて生活がなかなかよくならないとします。〔…〕あなたが、しだいしだいに、この世界の外にあって、自分の知らない、この世界を支配するある超越的な存在があって、こんなことになったのもその存在によって操られた自分の運命のせいであり、結局は長いものには巻かれなければならない、あきらめるほかはないのだ、と考えるにいたったら、これはもうすでに一つの世界観にほかなりません。〔…〕日常活動において形成される世界観は〔…〕首尾一貫しないのがつねです。〔…〕世界観は首尾一貫したものに「精錬」しつくされなければなりません。
仲本章夫「現代の流行思想」

*1:「ただ未来とか希望とか夢とかいっても、客観的なうらづけがあってはじめて、私たちの生活に現実的な展望がうまれるのです。そのための保障は、世界には法則がある、ということである、と私は思います。」(仲本章夫「現代の流行思想」