無問責の視線

大学をでてからしばらくしてのことだったと思う。初めてエロゲー*1を購入した私は、数日の間、家にこもってコンプリートした。そして所用があってすぐに外出した。

すると、電車の向かいの座席にいる女性の目が妙に気になる。その人は私の性欲を喚起するような性質を備えてはいなかった。だから、私の視線がその人に向かったとしても、それは窓の向こうの景色を見る視線と変わらないはずだった。けれども、私の視線をその女性がどう解釈するのか。それが不安だった。向かいの窓から武蔵野の景色を眺めたかったが、下を向いてじっと床を見つめていた。今にも不審者として誰何されるのではないかと緊張で体がこわばる。みじめだった。

数日の間エロゲーの中で思うまま特権的に視線を行使した私は、現実に戻ったとき、他人と同じ平野に立ち、視線の対象として在ることを思い知らされたのだった。*2

エロゲーでもエロ本でもエロビデオでもメディアの中の女性の視線がこちらに届くことはない*3。私は一方的に見る。けれども現実はそうではない。私は見る。見られる。見ていることを見られる。

夏。薄手の服が女性の乳房の形を強調する。街を歩いているとき、私は女性の乳房の膨らみを見てしまう。視線に気付いた乳房の主が見る。そこには「私の乳房を見ていた男」がいる。そのときのみじめさと言ったらない。

私は無問責の視線を渇望している。見られずに見ることを。

*1:エルフの「臭作」だった。

*2:そういう経験をできたので、エロゲーをやってよかったと思う。

*3:それでも、ぼくは視線がこちらを向いているものは苦手だ。