タレントになったニコ――黒田硫黄「セクシーボイスアンドロボ」

「大金星」に引き続き、黒田硫黄の「セクシーボイスアンドロボ」(1、2巻)を読みました。(「大金星」については「黒田硫黄が描く女の子の大声――「大金星」」に感想を書きました。)


将来はスパイか占い師になりたいという主人公の「林二湖(ニコ)」に国重や早田*1と同じような小気味良さを感じます。第1話、見つけた誘拐犯を追うかどうかをニコが逡巡する場面。

見つけた!けど!
どうしよう?
並木にデンキがつかなくたって、困るのは商店街で私じゃない。
わたるくんなんてどこの子かも知らない。
わたるのお父さんも、警察じゃなくてあの悪そうなおじいさんに頼むには
いろんなワケがあるでしょ、そのワケ知らないでしょ、私。
おじいさんに10万円もらっても私が何かする義理もないでしょ。
まだ私中学生だし、電話でエロ話するのとは違うのよ。誘拐犯人なのよ。
のこのこついてって何をするの?何ができるっていうの?
よく考えて!考えて考えて!

犯人を追跡したいという衝動を抑えるために、ニコは考えを巡らせます。わたるくんを助ける義務や義理もないし、誘拐犯の後を追うのを諦めたからといって、中学生の女の子を誰も非難したりはしない等々。いずれも至極まっとうな考えです。でも、ニコはこう決断します。

今見つけて今追わないと逃がしちゃう。
私の耳が、私だけが見つけたんだもの。わたるくんのいるところ。
知らない子だけど。
今救えるのは、宇宙で私だけ。*2

前半で考慮した、犯人と対峙することになったらどうするのか?といった計算は解決されないまま結論へ短絡しています。犯人を追跡して、わたるくんの居場所を突き止められるのは、今、私だけ。だから犯人の後を追う、というわけです。ちなみに、「今救えるのは、宇宙で私だけ。」という一文は、帯にも引用されている印象的な台詞で、ニコ自身も気に入っているらしく、後に何度か「宇宙で私だけ」と発言しています*3

意思決定へのこういった飛躍気味の筋道や「今救えるのは、宇宙で私だけ。」といった台詞からぼくが感じたのは、国重や早田と同じ気っ風の良さ、「いまここ」感、現在感でした。まだうまく説明できませんが、過去でも将来でもなく、今に寄って立っている感じ。次のテレクラのアルバイトでの「誰か」との会話など、国重や早田のものだとしても違和感がないように思います。

でもさ。でもさ。
好きじゃなきゃ、つき合わなかったらいいじゃん?
したくなきゃしなきゃいくない?
セックスより靴下とかのが好きならさあ?
ギム?
義務なんだ。そうかあ。
そーいう考え方もあるのか。
あ、そう?
じゃ
さよなら、はい。*4


しかし、この辺のメンタリティを明示的にひっくり返すのが第11話で登場する元スパイのおばあさん「良枝さん」です。良枝さんはニコにこう言います。

意志でなく、才能が行く道を選ぶ。
そういうことがあると思うのよ。
もちろん、やりたいことやりたくないこと、
意志で選んでもいいのだけれど。*5

……では、たとえば誘拐犯を追跡するという選択は、ニコが意志したものでしょうか、それともニコの才能が選んだのでしょうか。

ニコが国重や早田と決定的に異なるのは、ニコが自分の声音を自由に操ることができ、雑踏の中でも人の声を聞き分け、声からその人の容姿を推定できるという特殊な才能を持っていることです*6。ニコが誘拐犯を見つけることができたのは、ニコが「普通の女の子」*7ではない、特別な能力を持った女の子だからです。

少し強調しすぎかもしれませんが、それは、あえて言えば「ニコが見つけた」のではなくて、ニコの「才能が見つけた」ということです。このことは第1話でニコ自身が語っています。「今救えるのは、宇宙で私だけ」の直前に、「私の耳が、私だけが見つけたんだもの」って。

「才能が行く道を選ぶ」という良枝さんの話をニコは吟味するように黙って聞き入っていますが、実はこのように、「ニコを牽引するのはニコの意志なのかそれともニコの才能なのか」というテーマは、最初からはっきりとニコ自身の口から語られています。

talent(タレント)という英単語を辞書で調べると、「才能」と「才能ある者」というふたつの意味があることが分かりますが*8、これは象徴的だなあと思いました。ニコはタレント(才能ある者)であり、「才能ある者」はタレント(才能)になってしまうことから逃れられないのだと思います。


そういうニコの「いまここ」感、現在感はどういうものなのだろうか、と思います。

たとえば、誘拐犯を追跡するかどうかの葛藤は、「普通の女の子」であれば、「犯人への恐怖」vs.「わたるくんを助けるべき」という倫理的なものになると思うのです。

でもニコの場合はそうではないように見えます。タレント(才能ある者)であるニコの葛藤の内実は《「今救えるのは、宇宙で私だけ」という、「私」に与えられた特権的権能を行使したいという欲求*9》vs.《権能の行使に失敗*10して、その権能を無駄にしてしまうことへの恐れ》という、とても個人的なものなのではないかと思いました。

国重や早田にはそういう才能、異能、タレントはありません。そして、タレントであるニコと国重、早田の「いまここ」感、現在感とは、まったく別物なのではないか。あるいは異なるようで同じものなのか…。どうなんでしょうか。ぼくはそこをおもしろく感じました。

セクシーボイスアンドロボ1 (BIC COMICS IKKI)

セクシーボイスアンドロボ1 (BIC COMICS IKKI)

セクシーボイスアンドロボ #2 (BIC COMICS IKKI)

セクシーボイスアンドロボ #2 (BIC COMICS IKKI)

*1:国重は「茄子」に、早田は短編集「大金星」に収録の「ミシ」に登場する女の子。

*2:黒田硫黄セクシーボイスアンドロボ」voice 1.「セクシーボイスは14歳」

*3:ざっと見たらvoice 3.「エースを狙え!」で2回

*4:voice 9.「おじいさんの電話」

*5:voice 11.「鍵」

*6:「大金星」について書いた「黒田硫黄が描く女の子の大声――「大金星」」で、声は自分が現在することの証明手段だとしました。《声音を自由に操れる→自分の声がない》と考えると、ニコは「いま私はここにいる」という証明のできない、ただ、他人の存在を証明するための優れた証人でしかない、と考えることもできそうです…。

*7:voice 11.「鍵」でニコは自嘲気味に「だいいち、私、普通の女の子だしぃー」と言っています。

*8:大原まり子の「未来視たち」で、「タレント」を「才能ある者」の意味で使っていたと記憶しています。

*9:voice 3.「エースを狙え!」に登場するサッカー選手の真船を想起します。

*10:ニコは良枝さんに「失敗したことありますか」と質問しています。