黒田硫黄が描く女の子の大声――「大金星」

黒田硫黄の「茄子」に登場する「国重」に不思議な魅力があって、ぼくは5年ほど前に「茄子」を読んだとき、

私さー ちょっと夢がかなったあ*1

とか

健康に気をつけて!*2

といった彼女の台詞に、というか声の出し方にあこがれました。こんなふうに遠くまで通る声を出してみたいなあ、と。

今日はそのことを思い出しました。黒田硫黄の短編集「大金星」を読んだのですが、「ミシ」に登場する「早田みどり」が

私 いま
好きな人がいるの――っ
ごめんね
元気でね*3

と、やはり大きな声を出していて、とてもいいなあと思ったので。

デカイ声を出すのが何がいいのかって、なんなのかな…。

国重や早田は、過去が重荷になっていないというか、過去に引っ張られてない、吹っ切れてる。かといって将来に吊り上げられてもいない。今に立ってる。そこが彼女らの魅力だとぼくは思うんですが、そういう姿がこういった声を出すシーンに現れているように思うのです。

なぜそう思うのかはうまく説明できませんが、山に登ったとき「ヤッホー」って声を出しますよね。「ぼくはいまここにいるよー」って。文字とちがって、音である声は発声と同時にすぐ消えてしまう。でもだからこそ、声は「ぼくはいまここにいる」という強い証拠、証明になるわけです。メモが落ちていても、それはいつどこで書かれた物かわからない。でも、人の声が聞こえたら、録音した声を再生しているのでもない限り、それはその時そこにその人がいたことの証明です。

きちんと説明できないけど、彼女らの魅力――いまここにいる現在している感じと、大きな声を出すことと、その声が聞こえてくることとが、ぼくの感覚の中でつながってるんじゃないかなあ。

うまくまとまらないですが、日記なのでこの辺で。またあとで考えて手直ししてみます。

黒田硫黄が描く女の子の大声って、なんか、いいんだよなあ。日記を書いて存在証明するより、おおきな声を出してみたりキャッチボールしたりしたいのです。

大金星 (アフタヌーンKC)

大金星 (アフタヌーンKC)

*1:黒田硫黄「ランチボックス」

*2:黒田硫黄「お引っ越し」

*3:黒田硫黄「ミシ」