オカメザクラ

ぼくがなまえに執着するのは、きっと、ぼくが「自分一人でものを考える」ということを、両親がぼくにつけたぼくの名について考えることから始めたからだろうと思う。

木の名前が具体的に思い浮かばなくても、日常生活に支障はありません。現代の生活には、具体的な木の名前がとくに必要とされていないからです。昔の人たちは、木の製品にあふれた生活をしていました。生活の中で木の製品を使っていたときには、木の具体的な名前は必要でした。必要だから名前がついたのです。
石井誠治『樹木ハカセになろう』

この引用部分の後には、まず役に立つ木に名前がつけられたこと、木材として利用しない木はすべて雑木と呼ばれたこと、役に立たない木には蔑称が付けられたこと(有用なツゲに似ているが木材としては使いにくい木をイヌツゲと呼んだり)などが書かれている。だから、名前は便宜的なものであって、便利ではあるけれども、こだわってはいけないと。


これはオカメザクラ