すべては息になる

ロードバイクで週末に遠出するようになって、気持ちが明るくなったと思う。気分の基本のモードが かわったと思う。

というか、頭の中から クダラナイこと(会社の人間たちのことや、仕事のこと)が追放されて、かわって自転車のことが占めるようになった。

ラブプラスでも深夜アニメでも、何でもいい。「よりマシ」なことで頭を埋めていきたいと常々おもっているのだが、自転車はとてもイイ。


―― 中学校の体育の授業で、よく学校の周りを走らされた。これはとても不評だったけど、ぼくは嫌いじゃなかった。好きだった。

そのことを同級生に言ったことはない。なぜ好きなのか、うまく説明できないと思ったし、友達に理解してもらえるとも思わなかったから。

走りながら、いろんなことを考えた。

女の子のこと。でも、そういうことは なぜかすぐ消えてしまう。

正しさについて。不正について。真のことと、偽りのことについて。社会について。国家について。戦争について。殺人について。生命と物質の境界について。星について。時間について。今について。記憶について。 ――


自転車を漕いでいると、体育の授業で学校の周りを走らされた時と同じように、いろんなことが頭に浮かんでくる。

でも今のぼくには、もう考え続ける気力がないし、活版所でバイトするジョバンニみたいに、どんなことも よくわからない。*1

だから考えるのは、目的地までたどり着けるか、どこかで引き返すべきなのか、無事に家まで帰れるのか、といったことが ほとんどだ。

でも、そういう思考も、黙々とペダルを踏んでいると、だんだんと白く薄くなって消えていく。

雨を吸って毎日着実に伸びる植物のように、走った距離が伸びてゆく。

あの時と同じだ。

すべては、吸って 吐く、息になる。

*1:「このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。」(宮沢賢治銀河鉄道の夜」)