なーにもしなかった。

掃除も洗濯もアイロンもしなかった。明日はでかけなくてはならないので、月曜にやろう。

書きながら、もうそこからは離れていると感じることがある。そういうときでも、とにかく書き残しておこう。いや、そういうときこそ、なのかな。

竹原市長については、よくある「とんでも」という認識で、これまでさほど関心がなかった。しかし、「防災無線使いマスコミ批判」の報道を読んでからというもの、彼のニュースを目にすると、ぼくのなかで「別の物語」を語る声が聞こえる。

父は無神論者で、ぼくはその影響を受けて育った。信仰とは弱い人のものだと思っていた。でも、そうじゃないんじゃないかって気がして、近頃すこし考え事をする。そのきっかけは姉ヶ崎さんなんだから、いつなにがはじまるか、わかったもんじゃないのである。姉ヶ崎海溝深潭。

「三幸の柿の種」がすきだ。おいしい。そういえば、これまでは煎餅の一種と認識しており、お茶をのみながら たべていた。今度ビールをのみながら たべよう。