「希望を持った自分が恥ずかしい」

『35歳を救え』*1の第2章「35歳の現実」を中心に読んだ。*2

メモしておく。「よくわからない」という感覚。

自分の能力が劣っているのか、世の中の流れで仕方ないのか、選んだ職種が悪かったのか、何が原因なのかよくわからないです。希望を持てと言われても、ちょっと厳しいかな。
『35歳を救え』

昨年の冬、報道で「年越し派遣村」のことを知ってから、「よくわからない」というぼんやりしたものがつきまとっている。(そういえば、内閣総理大臣の「国というものがなんだかよくわからない」という発言は〈ここに言い訳をたくさん挿入〉素朴で好ましいものに感じられた。*3

たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。
宮沢賢治銀河鉄道の夜


それと、これは何度も読み返す文章になるだろう。この気持ちがこんなストレートな文章になっているのを見ただけでも、この本を読んだ価値があった。

もう無理だってわかってるんですよ。少しでも希望を持った自分が恥ずかしいです。
『35歳を救え』

なにか書いておきたいけど、まだ書けない。

あきらめては ちから あふれ あこがれては ひかりこぼしてとんで ただよい
斉藤斎藤

*1:『35歳を救え なぜ10年前の35歳より年収が200万円も低いのか』(「あすの日本」プロジェクト、三菱総合研究所

*2:他の「提言」等の章はパラパラと。戦略として必要なエクスキューズなのかもしれないが、「現在の35歳世代が直面する困難は、決して、35歳世代が彼らの親世代に比べて怠惰だったり、ふまじめだったからではない」(p.178)なんて、「うへっ」だし、「彼らが抱える問題をこのまま放置すれば、日本は向こう20年ゼロ成長となり、「あすの日本」の基盤を揺るがしかねない」(p.154)なんて前置きをされると、正直興味が持てない。

*3:前後の発言を読むと「国が国がと言われるが、発言者が何を指して「国」と言っているのか明確でない」程度の趣旨だったと思うのだけど。ところで、Youtubeのこれ(YouTube)。奇麗事で矛盾や間違いがあったとしても、こういう言葉を発していくのはよいことなのではないかと思う。