みるちから、みるいし(「世界には法則がある」)

いつものようにジョナサンのスクランブル・モーニングセットで朝食をすませたあと、お茶を飲みながら手帳のカレンダーをながめて「もう年末だ。今年ははやいな。4月に異動があったしな。」と思い、店内の音楽がピアノになって、のびてゆくプログレスバーのイメージが頭に浮かびました。
ぼくの一生を5分間の動画にまとめるなら、5分は300秒だから、一年は3,4秒になるでしょうか。一年に一枚でも、幸せそうに表情のセルフ・ポートレートが撮れたらと思います。

今年で33歳になりました。Fate/stay nightでの料理や掃除など家事についての言及が不思議な印象を残しています。この一年ほどは「生活を整える」ということがぼくの関心事になっています。食事、運動、睡眠。規則ただしい健康的な生活。掃除、洗濯。住まいをきれいに維持すること。「なぜそんなつまらないことに執着しているのか」とも思います。たぶん、ぼくはこれまでのでたらめな生活に疲れたのです。

就職をしていわゆる社会人になってから、ぼくは新聞を読まなくなりました。投票することもなくなりました。社会への関心がなくなりました。世界をでたらめな無秩序なものとしてしか認識できなくなりました。
ぼくの みるちから は よわくなって、ぼくの世界観は縮小しました。ぼくの世界はちいさくなってミニチュアになりました。ぼくはママゴトの世界の住人になりました。世界はセカイになりました。ぼくは うそのことしか はなさなく なりました。

でも、日記をつけて、家計簿をつけて、生活をととのえて、生活がおちついたら、ぼくにまた みるちから が もどるんじゃないかとおもっています。そう。ぼくにはまだ みる いし が のこっていました。

ただ未来とか希望とか夢とかいっても、客観的なうらづけがあって はじめて、わたしたちの生活に現実的な展望がうまれるのです。そのための保障は、世界には法則がある、ということである、とわたしはおもいます。
仲本章夫「現代の流行思想」

The world is understandable.